勉強

 

偏差値や学力で人を判断する

 

もうこれは致し方ないことだと思う

頭の悪いわたしは中身を見ろ!中身を!って言うんだけど、頭のいいわたしは頑張った人が評価されて当然と言う

当のわたしは人間を測るのにみんなが平等にやればできるギリギリのことが勉強で、それ以外で共通して人を試す事って他にないと思うって言ってる

 

例えばセンスがいいと思うのも主観と流行なわけで、運動能力も生まれつきのものが大きく影響してきて、結局いつなんどき、誰に対してもある意味フェアなのは勉強しかないって歴史が証明してるんだよ

 

勉強を大事にするか否かは本人次第なので勉強なんかいらないと言う人を否定はしないけど

少なくとも人より知識があっていい大学出てて名誉と給与の高い職業に就く人は生活力あるしかっこいいし結婚してえってなるよ

 

人間そこだけじゃないけどマイナスに作用することはないよね

 

ってわかってんのに勉強が進まないわたしはやっぱりアホかもしれない、、がんばれ

 

 

周りがキラキラしてるなか自分がなにも楽しめなくてなにも持ってないのが悔しくて、周りを嫌いになった。いろんな先生に反抗して勉強もしなくなって案の定留年しかけた。

 

今思うと自分も若かったなと思います。

でも同時に自分は何回人生やり直しても大した変化は出ないんだろな、とも思います。

 

面白くないことを面白いとか言えないし、興味ないことに目をキラキラさせる演技ができるほど器用な人間ではないので。

 

どっちも必要な要素なわけだけど、協調性と自己の確率をどちらも両立させて自分の意思を気づかないうちにみんなに共鳴させられる能力を持ってる人はカリスマだね。大人になったらなれるかな。これからのことなんも想像つかないね。

 

マイナスな発言とか何かに対する批判とかを昇華させて作品にしたり、結構ネガティヴなものから何かを作り出すことが多いけど、ちゃんと未来のことも見てます。

未来のことは頭の中で温めてます。

 

未来のことってのがどこまでのことを指すのかはあれだけど。いつも言われるのが作品撮りってなんのためにしてるの?服飾学生でもないのに?とか。

別に特に目標もないんですよ。個展するのも決めてから1ヶ月でしたし。これからどうしたいとか何にもないです。プロになるわけでもないし。だってわたしナースになるんですもん(笑)

 

楽しいからしてます。でも楽しいに妥協したくないしその空間で何かをすることで、変われた、とか幸せだった、って言ってくれるのは結果論で、一番偉いのは楽しいかどうかです。

楽しいと思えなくなったり、飽きたらやめます。有名になるまで続けたいな。

 

じゃあ趣味なら約束ブッチしたりする人に怒るなよって言われましても、普通の遊びの約束でもブッチされたらキレますよ。作品撮りだからではなくてわたしの性格です。まあ舐められてるのはムカつくけど。そもそも人の無駄な行為のために時間を使うようなことが苦手なので、なんの連絡も謝罪もなしに遅れたりドタるような人間は嫌いです。アイス奢ってくれたらゆるすよ〜

 

本当に心から楽しいと思える空間には気を使ったり自制かけるようなことはしたくないしみんな理解してくれてると思う。だからこそ楽しいと思えるし、ただの仕事仲間みたいな感じじゃなくて撮影終わったら個々でも仲良くなれる空間をつくってる自分とみんなが大好きです。

 

言いたいこととやりたいことだけで溢れてる空間は学校みたいなコミュニティでは作れない好きだけで繋がってる仲間だからこそだと思います。実際みんなネットとかショーとか友達の友達とかで繋がった関係だけど、普通の友達と扱い何も変わらないし軽くないです。少なくともわたしはね。みんな大事な友達です。

いつもありがとうね。

 

 

 

欲張りなのでそこそこな幸せとか要らないし何を言われてもそこを追いかけるのは私の性だから。やりたいこと実現するの偉いとか言わないでね。

あ、でも有名にはなりたいです。だからいちばんじぶんが適している環境を探していろいろ手つけてる。好きなことは全部やってみてる。あいみょんが若い頃絶対有名になるので見ててくださいって言ってたの思い出した。そうやって有名になりたいって野望は口に出し続ければ本当になれるもんだって自己暗示かけてるので。

 

本当に好きなものとか自分に刺さったものはすぐ影響受けちゃうし実際吸収するけど、いろんなものを通して変わっても変わっても残る共通項が自分だから、それを見つけるのにもいろんなこと経験するのは大事だと思ってる。えへ。

 

若いけど責任もプレッシャーも重くのしかかるのが十八だよね。なりたくないけど、なるもんなあ、いい歳にしたいな、あと1ヶ月もないけど十七歳もぶちかましたいな

 

おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無題

死ぬとか死にたいとか簡単に私ゆうんだけど

多分いざとなったら死なない、いや絶対死ねない

昨日あった梅田での飛び降り自殺、今日昼前までわたし梅田にいたのね、だからさこんなにも近くでそんなこと起こるとか思わんやん?

でもさ、そうやって亡くなって行く人がいるんだね

わたしさ、これのなにがあれってさ、日本ってやばい国だなって思うわけ

白昼堂々と賑わってる梅田に飛び降りた人も、それにカメラ向けて平然と撮ってた人も、その動画をsnsにあげる人も、それが検索のトップに引っかかって簡単に見れる仕組みも、それに不謹慎ってリプしまくる人も、それを保存する人も、なんとも思わない人も、その動画がネットニュースでモザイクかかって一部始終流れる環境も、全部やばいし誰も人のこと考えてないんやろうなって感じする

亡くなった人を批判するつもりなんてさらさらないしどんな事情があったかなんかわからんし、やけどそれを取り巻く周りの行動が本気でやばい、おかしい、人が死ぬ瞬間なんか誰も幸せにならんし嫌な思いするだけなのにその動画を不謹慎の一言で片付けられる日本人怖すぎるし現代を最大限に風刺してるなって思った

 

勿論インスタもツイッターもブログも全部すきsnsだいすきやけど果たしてこれが正しい使い方なんか?ってね?現代やからしゃーないで済まされていいことじゃないでしょうが、、って感じ

こうゆうとき大人がどうにかするもんじゃないんですか?snsのリスクってこうゆうことじゃないんですか?そこには口出ししないんですか?ってつっこみたくなる

現代人って全てにおいて充実し過ぎて感覚マヒしててもはや人の死くらいしか珍しいことないんじゃないかって錯覚するくらいまじでやばいよ世の中

まあそのへんにいるJKがこんなことをブログで叫んだところで何にもならないけど。

 

 

平成から令和

ハロー令和

みんな平成の時代にわたしと出会ってくれて有難う

平成を全部生きてたわけじゃないけどわたしの人生の多感な時期は殆ど平成で過ごしたのでありました

べつに年末なわけじゃないし改まることでもないけどなんかいいよね、令和

もともと服には興味あったのはあったけど別にカメラをしたい!とか服を作りたい!とか思ってたわけじゃなくて

私にとっては服もカメラも人に勝つため、に始めた戦闘のための装備でした、人がやらないようなことをしたい、他の子と一緒にされたくない、十六、七歳の私は典型的なモラトリアム人間だったなと思います、そういう意味では十代らしい十代でした

そんな気持ちで始めたカメラも服も今では生き甲斐で作品撮りを通して得た世界は私にとって財産やし、データを見る度に高揚するし、反省点も湧き上がってきて向上心で溢れます

私が今切に思うのは面白くない大人になりたくないし常に進化して対しつまんなくなったね?って思われたら終わりだなって考えてるので、いつまでも燃え続けてたい、芸術的に生きたい、と思うこと

古いものを馬鹿にするようなワカモノ、新しいものを飲み込めないオトナにはなりたくないってことです

十代が山場なんて死んでも思いたくないし、いつまでも今が誇れるような人間で在りたい

 

 

こんなことを思うようになったなんて、初めて自分が大人になったことを感じた平成の終わりでした

 

またね

無知

この世には私の知らないことだらけで

知りたくないことだらけで

知りたいことだらけで

無知ななかでも自分の知ってるものを三百六十度振り回して

世界を染めるのだよ

真っ赤なキャンパスに紫の絵の具で絵を描いてピンクのフィルターがかかってラメやホログラムをぶちまける

がんばるよ